私は阿波(高)から始まった⁉︎Ver1.2

さあ、桜も咲き始め、新型コロナが無くなったわけではないですが、ようやく普通の春がやって来た気分です。

 あ、当院はいまだに 診察までの間は、お車で待機していただいてます。ご不便かと思いますが、わんちゃんや猫ちゃんにも、飛沫感染する病気がありますので、衛生管理するためにも、

失礼かもしれませんが、お車でお待ちくだされっ!

さて、今夜は最近私がハマっている『古代史ミステリー』の世界へご招待します。

 

 今回もワン・ニャンはいっさい登場しませんので、興味のない方はスルーしてねっ!

 

あ、今回も寝る前に見て欲しいですが、

ほとんどYouTubeからの動画で、非常〜〜に長いので、興味の薄い方(女性が多い?)←ゴメン は、絶対に寝てしまう可能性が高いです!←本当

もしくは興奮して眠れなくなる可能性(特に同年代の男性・オカルト好き)があるので、

睡眠不足になっても怒ってこないように!

 

最近、ネットやYouTubeで徳島・阿波が熱いのはもうご存知でしょうか?

「え、そんなん もう知ってるよ〜 」て方も多いと思いますが、まだ知らない人!

そして、徳島県出身や、四国出身の方で、まだ知らないっかも?って人がいるなら、ぜひ コッソリ お勧めしてくださいね〜!でもバカにされても自己責任ですよ〜!

 

 

 

 

まず、当院のお客様で、ヤマハのセローに乗っておられる御仁がおられるのですが、

時々、お薬などを買いにセローで来られるのですが、セローを見るたびに、

ああ、もう一度乗りたい・・・といつも思います。そう

私もセローに乗ってました。

自転車とまではいきませんが、非常に軽い車体、オフロードバイクにしては足つきもよく、本当にケモノ道もふらっと入っていける高い走破性を持つ素晴らしい名車でした。

 

仕事が祭日で休める日は、朝早くから出かけて、『剣山スーパー林道』にも無謀にも単独で挑んでおりました。特に剣山などの四国山地の人が住んでいない地域は、本当に幻想的で、異世界に迷い込んだ感じがして・・・神秘的であり、畏怖を覚えるような感じになり、取り憑かれるように何度も足を運んでしまいます。

そして、新しい脇道や林道を見つけると、セローなら私の腕でもどこまでも侵入できる心強さがあるので、新たな道や景色を求めて、四国山地を走り回っていました。

 

嗚呼。なんだろうこの気持ち、懐かしいような・・・

 

 

 

最近、また、山の中を走りたい衝動に駆られて、剣山をネットで調べていると、、、

徳島の『剣山に失われたアークが眠っている』の話題が数多くヒット!!

 

 

 

 

「え〜っ!そんなん嘘にきまっとんで〜っ!(阿波弁)」

って、声が聞こえてきました。はい、そうかもですが、

 

ぜひYouTubeで、『剣山・ソロモンの秘宝』で検索してください。

数々の研究している方が、動画をあげております、

 

古代のユダヤ人の一族が、伝説の失われたアーク<聖櫃>と共に日本のわざわざ阿波の剣山を目指して渡来してきた説が・・・

 

「う〜ん」、というものから、「お、これはアークじゃなくても本当に重要なものが剣山に隠されているかも?」

と本気で思います。

 

そういえば、私が小学生の頃、うちのお袋が、『徳島の剣山には秘宝が眠っている!』とか『剣山には大蛇が出て大騒ぎになった』なんて話をしてた覚えが・・・。今を思えば、剣山の秘宝を探していて発掘を行なった高根氏親子がとても有名で、それが当時の新聞や噂になっていたのかなあと懐かしく思います。

 

そして、子供の頃、ロープウェイに乗って頂上まで登った懐かしい記憶が・・・

その後は、残念ながら、何十年も一度も頂上には登っていないので、死ぬまでに登ってみたいです。

四国山系が懐かしいのは、その時の記憶?いや・・・

 

そして、私たち四国と近畿地方の現代人には渡来人系のDNAが多いことが科学的に証明されているようなのです。

 

そんな、日本にやって来たユダヤ人について色々調べていくと、

日ユ同祖論(にちゆどうそろん)は、日本人の祖先が2700年前にアッシリア人に追放されたイスラエルの失われた十支族の一つとする説。

 

 にたどり着き・・・

 

 

 

 

全然、違うけれど、古代の阿波が・・・

 

 

 

そして、『邪馬台国は阿波だった説』が最近になってブレイクしているようです!

 

 

その後、ANYA チャンネルさんの『阿波から日本が始まった』の説に辿りつきました。

徳島や、四国の方にはぜひ一度見ていただきたいと思います。

 ANYA さん以外にも、昔から、阿波の古代史を研究されている方々が多くいることを知りました。

 

これまた、そういえば・・・私が子供の頃、

お袋が『邪馬台国って、徳島にあったっていう説があるんよ〜(阿波弁)』って言ってたなぁ。

 

 40年以上前から、徳島にはいろんなミステリーが言われてたのねー。

 

で、一番わかりやすい説明をされているのが、ANYAチャンネルさんかもしれません!

まあ、時間があるときに観てください。

 

 

まあ、邪馬台国は、『近畿説』と『九州説』が昔から有力でした。

『阿波説』以外に 日本全国に候補地と名乗りを上げる地域があります。

そもそも邪馬台国は中国の捏造であり、本当は無かった説もあるそうな・・・。

まあ、私は徳島県人なので、阿波が邪馬台国であったら、とっても素晴らしいような、、、誇らしいような気がします。

 

邪馬台国とまでは言わないデスが、古代の阿波には何か重要な人物や、大発見の古代史がありそうですが・・・。

 

にわか素人の私がこんなこと言うのもなんですが・・・

徳島の古代遺跡や神社をかたっぱしから、発掘していくのがいちばん白黒ついてスッキリすると思うのですが。どうでしょうか?

 

 

 

 

『邪馬台国・阿波説』や、『阿波・古事記説』を研究さてれいる方には申し訳ないですが、このまま、うやむやで、永久にミステリーのままでも良い気がします。

 

なぜって?

 

 だって、卑弥呼だって ただの人間には変わりないでしょ?

 

アホな私の数十年の経験ですが、ここで 恐ろしい説 をご紹介?します。

 

 

 

 

そ、

 

 

それは・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

( ° ω ° ; ) ゴクリ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『どんなに偉大で、尊敬する人物であっても、一緒に仕事をするとガッカリしてしまう説〜!』

 

そして嫌いになってまう  

いう「○おしま説!」

 

 

 

そして、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『すごく偉大だったり、著名な人物ほど、よけいに嫌になる〜!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あぁ、言ってもうた。

怒ってこないでね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうです?

真理ではありませんか?

 

 

私が、動物以外好きになれない、人間嫌いになっている根本的な理由であり、友達がいない理由。

 

 私が言いたいことは、

ズバリこれです!

卑弥呼だろうが、聖徳太子だろうが、イ○ス様、徳川家康?でも側で一緒にいると絶対嫌になるハズ・・・私だけ?

そんな、偉大な古代の偉人たちの素顔なんて、ただの同じ人間だ!っていう思いがあるのです。

特に、バリバリなんでもできる奴は嫌な奴が多すぎる気が・・・します!

 そんなんだったら、素顔なんか知りたくなかったよ〜  てのが私の人生で多かった。

 

まあ、

私に能力がないので、偉い人にはバカに見えるのが原因だったようにも思うのだが・・・。逆恨みだね

 

 

 

 

もとい!

 

 素人考えついでに・・・

阿波に古代遺跡があまり出土しない(実際はたくさん出土はしているみたいですが・・・)理由は、あまりに歴史が古すぎるのではないか?ということ。歴史が古すぎてスゴイ遺物を生み出す技術がまだ少なかった時代だったちゅうこと!

そして、太古から繰り返されているであろう、中央構造線に起因する地震や地殻変動、吉野川や那賀川などの河川の氾濫による遺跡の消失。

また、重大な発見を 生活のために見なかったことにしてしまう恐ろしい県民性!

トドメに、阿波は、ど田舎なので、土地の開発が少なく、地面を掘ってたら、遺跡が出ました〜っという事案がそもそも少ないのでは?なんて空想してしまします。ましてや、貧乏県なので、色々な資金も少ないはず・・・。バカの空想よ 怒らないでね!

 

 

ただし、早く発掘調査をしないと、南海トラフ地震や津波、川の氾濫で、本当に史実が闇に消えてしまうのもなんか勿体無いなーって気もします。

そして、

人口減少で阿波がどこよりも早く消失する予感・・・

うーん。複雑な気分ですが、私の生きている間にこの歴史が判明することは無いような気がしてなりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、

しょうもない

私の歴史

そんなんどうでもええんじゃ〜!」←阿波弁ね

 

私は、阿波市吉野町の百姓の家に生まれました。以前の板野郡吉野町ね!

うちは代々百姓をやっていて、私で十代目に当たるそうな。

 

私の小さな頃は、葉タバコや米、レタスを作ってたなぁ。

子供の頃は親父に頼んでコンバインを少し運転させてもらった記憶があります。

↓コレ、稲を刈り取るマシンね! 

 

 

 

 

 

そもそも、

私の先祖が、吉野川の対岸である鴨島町知恵島あたりで百姓をやっていたのだが・・・

 

 

 

 ↓赤い線内が知恵島です。

 

「四国三郎」と称される日本三大暴れ川して知られている吉野川の氾濫に嫌気がさして、

300年前ぐらい前に、対岸の吉野町(昔は柿島・かきしまと呼ばれてた)に逃げてきたということらしい。

 

少し拡大して

 

私の先祖の大移動が

これ!↓↓↓

しかし、よく考えると、私の家の前、数百メートル南には、もう吉野川です!現在は立派な堤防に守られていますが・・・。

オイオイ、ご先祖様!吉野川から逃げてきたんじゃないのかい?すぐ眼の前やんけ-

 

 

あ、そうそう、私の苗字の『大島』なんですが、

ありふれた苗字のようで、実は全国的には、比較的マイナーな苗字なのです。

 

子供の頃から、

「なんで、海の近くの生まれでもないのに、なんで大島なんえ〜?」阿波弁

「漁師でもないのに〜」

「島なんか、どこにも無いでぇだ〜っ!」阿波弁

 

本当にずっと疑問でした!!!

 

 

しかし、『大島』の苗字は

徳島県では特に鴨島町の知恵島に多いとされています。

そもそも、庶民に苗字が許されるようになったのは明治維新以降で、うちの貧しい先祖にも苗字なんかなかったと思うのです。

そのへんを、

物知りの親父にコッソリ聞いてみると、なぜかコッソリ。

「多分、知恵島のあたりに一族の本家がおって〜明治維新で、苗字を名乗らなあかんよーってなって〜そこの出身者?ていうか小作人?分家?達がこぞって、ほなぁ、大島にしよう!としたんとちゃうかなぁ〜との口伝があるとの事。う〜ん、ほんまかいな。

 

 

 

 

 もう一度、地図をご覧くだされ。

↓くどい様ですが、下の地図の赤いラインで囲まれている地域が、知恵島地区です。

 

そして、この辺りの地名には・・・・

 

川島町、 鴨島町、知恵島、上下島、牛島町(なんと、鬼嫁の実家がココだ!別名 鬼が島

なんと、島 がつく地名が多いのです!!!

 

そして、この地図の吉野川の左上の中洲(ほんの一部しか写ってません)が、なんと!

日本最大の川中島(中洲)である善入寺島です。

ここで、ミステリーをひとつ。

その善入寺島はその昔、粟嶋(あわしま)と呼ばれておりました。

話が飛びますが、古事記に書かれている『国生みの神話』で

最初にできた島が淡路島と書かれています。

しか〜し!本当の淡路島はこの善入寺島のことかも?!

と言われています。そして、そこには忌部氏にまつわる浮島八幡宮(宮島八幡宮)があったそうな・・・。そして、諸事情により、現在は跡形しか無い!理由は自分で調べてね。

 

 

 

まあ、何が言いたいのかと言うと・・・

 

この辺りは、古代から、吉野川の氾濫で、洪水のたびに、支流がありこちに変わり、特にこの辺りは巨大な中洲があちこちに形成されやすい場所で、これらの大きな中洲たちをと呼んでいたのだろうと思うのです!決定!

 

そして、我がご先祖の関わりのあるちょっと偉い?百姓代表?地主?の住んでる場所が、大きな中州だったのかも?明治維新以降に苗字を使うことを許されて、宗家?が大島と名乗るなら、私らもそこの出身なので、大島にしよう!そうしよう!と言ったとか言わない・・・。

 

 

 

全国に大島の姓の方がいらっしゃいますが、

それぞれ、えら〜い武士の末裔なんかの方もいると思うのです。

しかし、私の先祖の史実は多分コレ。とても貧しい百姓の家系。

 

 

近所や、高校の同級生、そして、当院の飼い主さんに なんと『大島』の多いことよ!

全国的にはマイナーな苗字なんすよ。

 

話が飛びますが、

 近畿地方には昔から徳島・阿波出身の方が多くいらっしゃるとお聞きしてます。

もし、阿波徳島出身で、特に鴨島町出身の大島姓の方は、・・・。

 

 

もしかしたら、

私と同じ『失われた一族の末裔』(笑)なのではないでしょうか?「○おしま説!その2」

ちなみに失ったものは・・・家、田畑。家族・・・

マジに辛い! (|| ゚Д゚)

 

 

 

  

あ、鴨島町といえば子供の頃の私には、ちょっとした都会のイメージ(笑)。

私の子供の頃、鴨島駅前の商店街はそれは賑やかでした。

その中で、私の一番のお気に入りのお店は・・・

『ペットショップ・中野』さん

ウチの家では「中野の小鳥屋さん」と呼んでいました。

ミドリガメから始まり、うさぎ、シバ犬、小鳥、九官鳥、猿などがいつもお店に居て。

母親が商店街で買い物をしている間は ずっとお店で動物を見てました。

 

そこで、私はモルモットを買ってもらった。

名前は『モルちゃん』

モルちゃんはよく「クイ〜ン」「クイ〜ン」て鳴いてたなぁ。モルモットって、

可愛い声で泣くんですよ〜!知ってた?

 

『ペットショップ・中野』さんは、私にとっては夢の国だったなぁ。知ってます?懐かしい〜!

現在もされてます。店長さん、お元気でしょうか。いろいろありがとうございました。

このお店の存在が、私の礎の重要な一つには間違いないです!!!

 

 

保育所、柿原幼稚園、柿原小学校は、地元で、ほぼ同じ住所に固まっていて、そこで大きくなりました。地元の吉野中学を出て、今度はまた、柿原小学校の北に位置する。県立阿波高等学校へ!

 

この阿波高校で多感な時期を過ごしました。

 

超ど田舎なのと、現在の学校のように冷暖房はなく、暑い時期は窓を全開だったので、

風向きによっては、ちょくちょく牛の堆肥の匂いがする思い出があります。

 

 

あまりに、マイナーな高校だったので、

よく「阿波高校って、聞いたことあるけど、一体どこにあるん〜?」阿波弁

て言われたなぁ。マジで

 

↓、ご覧の通り、本当に何もない田んぼの真ん中にあります。

「どこどこの近くにあるんよ〜!」

なんて、説明するのにランドマークになるものは一才なし!

 

 「阿波高ってなぁ〜」

「田んぼのど真ん中〜にあるんよ〜!」直球

としか言いようがありません!!!

 

 

そして、私の青春は、まさにバンド、そしてギターでした!

クラブ活動なんかはやってません。

今を思うと、本当にヘタクソでしたが、勉強もせずに毎年、この野外音楽堂で文化祭に演奏することだけ考えていたように思います!

 

もう、本当に青春の真っ只中でした。

人生をやり直すなんて絶対にイヤですが、、、

もう一度戻れるなら、この時代に戻ってみたい。

ああ、懐かしの野外音楽堂。

 

あ、その時の気分を例えるなら、このブライアンアダムスの

サマーオブ69がドンピシャです。ちなみにこの頃は69年ではありません。

ちなみにブライアンアダムスをよく聞いていたのは中学時代ですが・・・。

 

 

そういえば、カミさんとは、阿波高校で出会いました。赤面

一年生の時は、隣のクラス。

二年と三年は同じクラスで過ごしました。

 

カミさんにとっては、どうだったかわかりませんが、

今の私は幸せです。←この話は受付ではナイショね!

 

阿波高に進学してなければ、今は確実になかったと思うと、

ゾッとして眠れません。

神様がいるなら、どうもありがとう。

 

 

この人生、自分ごときには十分すぎます。

やり直せるとしても、まっぴらゴメンです。

これで十分です。

 

そして、

「ご先祖様、あんたたちはよくやった!」

 

あんたらが、ここに越してきてくれてホントよかったよー!!!

あんたらのおかげだよ-!

いっぱいお墓があるけど、

誰が誰のお墓だか  親父にしかわからんけど、

これからも、ちゃんとお参りするよ〜! 

 

 

 

 

最後に、『阿波説』と「○おしま説!」をよろしくね〜!

ぜひお子様にもお薦めして下さい〜 ウソ

間違いだったらごめんね〜!W

嫌な気分にしてたらごめんね〜大島さん!